因久山焼(いんきゅうざんやき)
江戸時代、鳥取藩主ご用達の窯元だった因久山焼窯元。坂道に沿って7つの土壁の部屋が連なった登り窯は、とても興味深かったです。
アクセス
住所:〒680-0451
鳥取県八頭郡八頭町久能寺649
八頭高校前の坂道の途中。
基本情報
■営業情報はこちら
https://goo.gl/maps/F9YDWFAEfbNmjpZY7
※コロナの影響もあり営業時間などが変更になっている場合があります
■お店の公式サイトはこちら
http://inkyuuzan.ftw.jp/
ギャラリー
登り窯から右手の方に石畳を進むと右手に建物があり、ギャラリーとなっています。
中には大きな平皿、徳利、マグカップ、茶わん、壺などなど、様々な創作物が並んでいます。
奥の緑の茶碗と手前の赤の茶碗は同じ釉薬(ゆうやく:染料)を塗ったもの。温度が均一ではない窯の中で、温度が比較的低いと赤っぽく、比較的高いと緑っぽく、もっとたかければ白っぽくなる釉薬だそう。同じ材料から匠の技によって焚き分けられるのがとても面白いです(´・ω・)
日常使いに向きそうな、ちょうどいい大きさのお皿もたくさん。どれも一点もので、捻り方や釉薬のたまり方、色の出方などなど、よくよく見ると個性豊かで眺めるだけでも楽しいです(*^_^*)
登り窯
こちらの登り窯の入り口からたくさんの作品を入れて、並べて、薪をくべて、入口をレンガで閉じたり、開けたりしながら焚き上げる火を調整します。丸3日間くらいずーっと火を絶やさず、焼き続けます。順番交代で寝たり、火の番をしたりするそうで、本当に大変そう。。。今は年に1回か2回ほどのペースですが、最盛期には月2回のペースで窯焼きをされていたそうです!さすが鳥取藩のご用達。
こちらは温度計の役割を果たすもの。窯焼きの最中に、棒でひっかけて中から取り出し、焼き物がだいたいどのような色になってきているかを確認するために使われているそうです。
登り窯からギャラリーの建物へと続く通路には、昔、陶磁器を焼くときに使っていた手作りの匣鉢(こうばち)が並べられています。この鉢が窯の中で作品を保護します。でも手作りのものだと亀裂が入ることもあったそうです。
今では工房の横に積み上げられているような、しっかりとした台(圧縮されて固められたもの)が使われているので、昔よりも精度が高まったそうです。そのような技術の進歩は様々あるそうで、例えばスペースシャトルが宇宙から帰還する大気圏突入する際の機体について研究や技術が、高温になる窯の中の棚の素材?にも応用されているとか。。。見た目は伝統的な技術!という雰囲気に包まれた登り窯ですが、中は江戸時代と比べると、色んな部分が少しずつ改良されているんですね(*‘∀‘)
因久山焼の由来
元鳥取城御庭窯 因久山燒由来
八頭町は古くから陶器が作られ、貞享五年、一六八八年(元禄元年)出版された因幡民談記の因幡郡郷土產物之事の中に久能寺焼として記載されており、今から三百二十年前に陶器を產出していた。
因久山の名は窯の所在地である因幡国久能寺にちなみ、藩主から下賜されたもので、代々御用窯として保護されてきた。そのあと、信楽焼の技法も伝えられ、京焼と信楽焼の技法が混じり合い独特の風雅さと土味のある作風が形成された。
芦澤家では江戶時代から続いている七室の登り窯が健在。 鉄分を多く含む地元の土と藁灰釉や緑釉、海鼠釉、辰砂などの釉薬を用いた素朴で格調高
い焼物は、多くの方にご愛顧頂いております窯元九代目 芦澤 良憲
お土産やプレゼントに
このような渋い柄の包装紙で丁寧に包装して下さいました。
普段、お土産やお菓子をお店で買って帰って、ブログ用の写真を撮ることが多いです。その時に食べ物が綺麗に写るように、地味目の色合いで主役を引き立てつつ、あまり反射しない素材のお皿が欲しいなと思っていました。窯元の方も一緒に探して下さったのですが、ちょうど手ごろな大きさの平皿が見つかって良かったです(*^_^*)
ちょっと写すのに手ごろなお菓子を持ち合わせておらず、たまたま家にあったリンゴを撮影させてもらっています(笑) (^-^;
色合いが渋めなので、鮮やかな色や明るい色の和菓子とかに使おうかな~と。長さ的には魚も良さそう。そのうち、撮り直す予定…
さいごに
視覚も食べ物の美味しさの要素だと思うので、食べ物を盛る器にも気を使ってみたいなと思っていました。食べ物とお皿の良い組み合わせを研究して、もっと美味しい写真が撮れるようになりたいなと思います!お皿のコレクションが増えそう…(;^ω^)
窯元のギャラリーで一点ものを探すのはとっても楽しいなと思いました!鳥取には他にも色んな窯元があるので、巡ってみようと思います!
※本記事の情報は記事掲載当日時点のものです。最新の情報は直接お問い合わせください。
※写真の無断掲載・使用を禁止します